「短編集」
読みきり
刻印 前篇
接待を受けるのも仕事の内だ。
そう社長に言われたのは何時のことだったか・・・。
テヨンは、テーブルの向かいで胡坐をかいて座る取引先の担当者から酌を受けながら、内心溜息を吐いていた。
酒が嫌い、という訳ではない。
かと言って、無類の酒好きだ、という訳でもないし、仕事がらみで飲む酒が楽しいとも思えない。
それは目の前の取引先の面々だって同じはずだ。
しかし、彼らはH&S社のヨン・テヨン本部長を接待し、今後の取引も継続、あわよくば拡大を、と目論んでいるから、楽しくなくても一向に構わないのかも知れない。
ヨン・テヨン本部長のご機嫌を損ねないように、もっと上向くように、彼らなりに頑張っていた。
当のテヨンはと言うと、つまらなそうな顔をするわけにもいかず、接待を受けながら、自分が接待しているかのように気を遣い・・・。
テヨンは、必死な彼らの誘いを断ることもできず、適当に相槌を打ちながら酌を受けている、という訳である。
ああ、早く家に帰りたい。
接待で遅くなるから先に寝てくれ、とメールをしておいた。
分かった、と返信があったけれど、でも、この時間なら彼女はまだ起きていると思う。
「ヨン本部長、良い店があるんです。」
料理も出尽くし、皿も空になりかけている。
そろそろお開きか?という時、目の前の担当者が言った。
「夜は長いです。本部長、楽しみましょう。」
「え?・・・いや、僕は、もう十分・・・」
「そう固いことを仰らずに!お強いとお伺いしていたのに、あまり飲んでおられないではないですか。」
半ば引きずられるようにしてタクシーに押し込まれ、夜の繁華街に連れて来られた。
良い店がある、と言った取引先のチェ部長は黒服のボーイに何事か告げている。
少しのやり取りの後、一番奥のボックス席に案内され、腰かけると同時にセクシーなドレス姿の女性が二人現れた。
「この店のナンバー2のウミ嬢とナンバー3のナヨン嬢です。」
チェ部長が嬉しそうに紹介し、女のコ達もにこやかに、ヨロシクお願いします、と頭を下げた。
そのままテヨンの両脇を女のコ二人が陣取る。
「こちら、すごいイケメンさんで、嬉しい。」
「おしぼり、どうぞぉ。」
きゃっきゃっともてはやされ、テヨンはたじろいだ。
男四人に対して女のコは二人。しかも二人ともテヨンにばかり絡みつく。
接待が目的なのだから当然と言えば当然なのだが・・・テヨンは苦笑していた。
「いや、僕はいいから、他の三人を・・・。」
「ヨン本部長、遠慮なさらずに。」
にこにこと接待に全力を注ぐチェ部長を、思わず睨む。
左手を持ち上げ薬指のリングを見せつけた。
「僕は妻帯者なんで・・・。」
「あぁん。奥さんが羨ましいですぅ。」
「ほんと、私も本部長と結婚したかったなぁ。
ところで、どちらの本部長サンなんですか?
まだ二十代ですよね?仕事もできるなんて素敵!」
テヨンが「本部長」と呼ばれたことを聞き逃さなかったらしい。
そこは流石と言うべきか・・・。
「ああ、それは、大手通信・・・」
「いや、家族経営の小さな会社ですよ。だから僕なんかが本部長って言われてる。
営業から仕入れ、お茶くみでも何でもしなきゃ成り立たないんです。」
こんな所で素性を知られ、興味を持たれては堪らない。
この店のナンバー2だか3だか知らないが、絡みついてこられてもテヨンにとっては迷惑なだけである。
その時、黒服がナンバー2のウミ嬢を呼びに来た。
常連客の社長さんがお越しです、とのことである。
続いてナンバー3のナヨン嬢も席を立つ。
失礼します、と二人は去って行った。
テヨンはホッとしていたが、チェ部長は真逆の反応を示した。
黒服を呼びつけて、声高に責め立て始める。
「チェ部長、もう、いいでしょう?・・・そろそろ帰ることに・・・。」
「お待ちください!」
やっと帰れると思ったのに、黒服が血相を変えて叫んだ。
「たった今、ナンバー1のソジンが空きました。それに、ヘルプのコですが良いコがいます。」
「すぐに呼んでくれ。」
テヨンはチェ部長を恨みたくなってくる。
僕を接待だなんて・・・逆効果だって分からないんだろうか。
ここはキッパリと断るべきだな、そう思い定めてテヨンが口を開けかけた時、早くもソジン嬢がやって来てしまった。
先程の二人も相当な美女だったが、ナンバー1の彼女は更に艶っぽい美人で、チェ部長も連れの二人もデレデレと鼻の下を伸ばしている。
しかし、ここはヨン本部長を接待しなければならないから、ソジン嬢はテヨンの隣に座らせなければならない。
ところが、である。
テヨンは別の女性に声を掛けた。
「君、名前は?・・・僕の隣へ。」
ソジン嬢の後ろには三人の女のコが付き従っていたのだが、ヘルプのコ達なのだろう。
いずれも美人だったが、ぎこちなさは拭えない。それが初々しいと言えなくもないが・・・。
テヨンが指名したのは一番後ろで伏し目がちに佇む二十代半ばと見える女性だった。
若干迷惑そうにしていたヨン本部長が興味を示したので、チェ部長はほくそ笑んだ。
部下達に目配せして、彼女をテヨンの左隣に導く。
当然、右隣はソジン嬢である。
「名前を教えてくれないか?」
俯いて何も答えようとしない彼女に代わってソジン嬢が口を開く。
「このコは『ヨンァ』って言います。今夜が初めてなんですよ。」
「苗字は?」
テヨンはソジン嬢を振り返ろうともしない。
「・・・苗字が『ヨン』です。」
ヨンァ嬢が消え入りそうな声で答えた。
「ふうん。僕も『ヨン』だよ。ヨン・テヨンだ。よろしくね。」
テヨンはソファの背もたれに背中を預け、スリップドレス姿のヨンァ嬢の肩に手を廻した。
頼りないストラップだけが乗る肩にテヨンの指が触れた時、彼女は露出度の高いその肩をびくっと震わせた。
その様子を横目で盗み見ながら、チェ部長は、何が功を奏すか分からないな、と喜んでいた。
チェ部長とその部下達はテヨンを喜ばせようと必死で、ソジン嬢や他の女のコ達と共に何やかやと話題を振っては笑い、酒を勧め、テヨンを褒めた。
テヨンはヨンァ嬢の肩を抱いたまま穏やかに微笑んでいたが、ヨンァ嬢だけは居心地悪そうに下を向いている。
ずっと俯いていたヨンァ嬢が突然顔を上げた。
「私、氷を貰ってきますね。」
空になったアイスピッチャーを引き寄せ、抱きしめるように胸に抱えた。
テヨンの腕から逃れるように席を立つ。
テヨンが溜息を吐くのを見て、チェ部長は益々喜ぶ。
ヨン本部長はかなりな愛妻家だと聞いていたが・・・どうして、今夜の接待は成功じゃないか。
テヨンはジャケットの内ポケットを探り、スマホを取り出した。
「すみません。電話が・・・。」
そう言って立ち上がり、足早に人の声が届かない方へ向かう。
廊下を進み、チェ部長達の姿が見えなくなったのを確認してスマホを納めた。
そのまま「スタッフオンリー」と書かれたドアを開け中に入って行く。
しばらく進んだところで探していた人物の後ろ姿を見つけた。
素早く駆け寄り、後ろから抱きすくめる。
彼女の手からアイスピッチャーが転がり落ち、床に氷が散らばった。
息を飲みこむ彼女の身体を反転させ正面を向かせる。
きゃっ、と小さく叫びそうになっていた彼女の唇に自分の唇を押し当てながら、壁にそのほっそりとした身体を押し付けた。
一瞬何が起きたのか分からなかった。
唇に柔らかさを感じ、背中が壁にぶつかる衝撃が走った。
壁とテヨンに挟まれて身動きできない。
唇だけでなく吐息もすべて奪われている。それほどにテヨンの口づけは乱暴だった。
テヨンは彼女をその口づけから開放したが、彼の両腕は肘から指先に至るまで壁に押し付けられており、腕と腕の間には彼女の頭がある。
「どうして君がここに居るのか説明してくれないか?」
唇と唇が触れるか触れないかの至近距離でテヨンが低く囁いた。
「・・・ん・・・」
彼女は乱れる息を整え何か言おうとしていたが、また唇を塞がれた。
「どうして?・・・君はここで何をしてるの・・・『ヨン』家の『ハ』さん?」
テヨンはもう一度問いかけたが、直後にやはり口づけた。
そう社長に言われたのは何時のことだったか・・・。
テヨンは、テーブルの向かいで胡坐をかいて座る取引先の担当者から酌を受けながら、内心溜息を吐いていた。
酒が嫌い、という訳ではない。
かと言って、無類の酒好きだ、という訳でもないし、仕事がらみで飲む酒が楽しいとも思えない。
それは目の前の取引先の面々だって同じはずだ。
しかし、彼らはH&S社のヨン・テヨン本部長を接待し、今後の取引も継続、あわよくば拡大を、と目論んでいるから、楽しくなくても一向に構わないのかも知れない。
ヨン・テヨン本部長のご機嫌を損ねないように、もっと上向くように、彼らなりに頑張っていた。
当のテヨンはと言うと、つまらなそうな顔をするわけにもいかず、接待を受けながら、自分が接待しているかのように気を遣い・・・。
テヨンは、必死な彼らの誘いを断ることもできず、適当に相槌を打ちながら酌を受けている、という訳である。
ああ、早く家に帰りたい。
接待で遅くなるから先に寝てくれ、とメールをしておいた。
分かった、と返信があったけれど、でも、この時間なら彼女はまだ起きていると思う。
「ヨン本部長、良い店があるんです。」
料理も出尽くし、皿も空になりかけている。
そろそろお開きか?という時、目の前の担当者が言った。
「夜は長いです。本部長、楽しみましょう。」
「え?・・・いや、僕は、もう十分・・・」
「そう固いことを仰らずに!お強いとお伺いしていたのに、あまり飲んでおられないではないですか。」
半ば引きずられるようにしてタクシーに押し込まれ、夜の繁華街に連れて来られた。
良い店がある、と言った取引先のチェ部長は黒服のボーイに何事か告げている。
少しのやり取りの後、一番奥のボックス席に案内され、腰かけると同時にセクシーなドレス姿の女性が二人現れた。
「この店のナンバー2のウミ嬢とナンバー3のナヨン嬢です。」
チェ部長が嬉しそうに紹介し、女のコ達もにこやかに、ヨロシクお願いします、と頭を下げた。
そのままテヨンの両脇を女のコ二人が陣取る。
「こちら、すごいイケメンさんで、嬉しい。」
「おしぼり、どうぞぉ。」
きゃっきゃっともてはやされ、テヨンはたじろいだ。
男四人に対して女のコは二人。しかも二人ともテヨンにばかり絡みつく。
接待が目的なのだから当然と言えば当然なのだが・・・テヨンは苦笑していた。
「いや、僕はいいから、他の三人を・・・。」
「ヨン本部長、遠慮なさらずに。」
にこにこと接待に全力を注ぐチェ部長を、思わず睨む。
左手を持ち上げ薬指のリングを見せつけた。
「僕は妻帯者なんで・・・。」
「あぁん。奥さんが羨ましいですぅ。」
「ほんと、私も本部長と結婚したかったなぁ。
ところで、どちらの本部長サンなんですか?
まだ二十代ですよね?仕事もできるなんて素敵!」
テヨンが「本部長」と呼ばれたことを聞き逃さなかったらしい。
そこは流石と言うべきか・・・。
「ああ、それは、大手通信・・・」
「いや、家族経営の小さな会社ですよ。だから僕なんかが本部長って言われてる。
営業から仕入れ、お茶くみでも何でもしなきゃ成り立たないんです。」
こんな所で素性を知られ、興味を持たれては堪らない。
この店のナンバー2だか3だか知らないが、絡みついてこられてもテヨンにとっては迷惑なだけである。
その時、黒服がナンバー2のウミ嬢を呼びに来た。
常連客の社長さんがお越しです、とのことである。
続いてナンバー3のナヨン嬢も席を立つ。
失礼します、と二人は去って行った。
テヨンはホッとしていたが、チェ部長は真逆の反応を示した。
黒服を呼びつけて、声高に責め立て始める。
「チェ部長、もう、いいでしょう?・・・そろそろ帰ることに・・・。」
「お待ちください!」
やっと帰れると思ったのに、黒服が血相を変えて叫んだ。
「たった今、ナンバー1のソジンが空きました。それに、ヘルプのコですが良いコがいます。」
「すぐに呼んでくれ。」
テヨンはチェ部長を恨みたくなってくる。
僕を接待だなんて・・・逆効果だって分からないんだろうか。
ここはキッパリと断るべきだな、そう思い定めてテヨンが口を開けかけた時、早くもソジン嬢がやって来てしまった。
先程の二人も相当な美女だったが、ナンバー1の彼女は更に艶っぽい美人で、チェ部長も連れの二人もデレデレと鼻の下を伸ばしている。
しかし、ここはヨン本部長を接待しなければならないから、ソジン嬢はテヨンの隣に座らせなければならない。
ところが、である。
テヨンは別の女性に声を掛けた。
「君、名前は?・・・僕の隣へ。」
ソジン嬢の後ろには三人の女のコが付き従っていたのだが、ヘルプのコ達なのだろう。
いずれも美人だったが、ぎこちなさは拭えない。それが初々しいと言えなくもないが・・・。
テヨンが指名したのは一番後ろで伏し目がちに佇む二十代半ばと見える女性だった。
若干迷惑そうにしていたヨン本部長が興味を示したので、チェ部長はほくそ笑んだ。
部下達に目配せして、彼女をテヨンの左隣に導く。
当然、右隣はソジン嬢である。
「名前を教えてくれないか?」
俯いて何も答えようとしない彼女に代わってソジン嬢が口を開く。
「このコは『ヨンァ』って言います。今夜が初めてなんですよ。」
「苗字は?」
テヨンはソジン嬢を振り返ろうともしない。
「・・・苗字が『ヨン』です。」
ヨンァ嬢が消え入りそうな声で答えた。
「ふうん。僕も『ヨン』だよ。ヨン・テヨンだ。よろしくね。」
テヨンはソファの背もたれに背中を預け、スリップドレス姿のヨンァ嬢の肩に手を廻した。
頼りないストラップだけが乗る肩にテヨンの指が触れた時、彼女は露出度の高いその肩をびくっと震わせた。
その様子を横目で盗み見ながら、チェ部長は、何が功を奏すか分からないな、と喜んでいた。
チェ部長とその部下達はテヨンを喜ばせようと必死で、ソジン嬢や他の女のコ達と共に何やかやと話題を振っては笑い、酒を勧め、テヨンを褒めた。
テヨンはヨンァ嬢の肩を抱いたまま穏やかに微笑んでいたが、ヨンァ嬢だけは居心地悪そうに下を向いている。
ずっと俯いていたヨンァ嬢が突然顔を上げた。
「私、氷を貰ってきますね。」
空になったアイスピッチャーを引き寄せ、抱きしめるように胸に抱えた。
テヨンの腕から逃れるように席を立つ。
テヨンが溜息を吐くのを見て、チェ部長は益々喜ぶ。
ヨン本部長はかなりな愛妻家だと聞いていたが・・・どうして、今夜の接待は成功じゃないか。
テヨンはジャケットの内ポケットを探り、スマホを取り出した。
「すみません。電話が・・・。」
そう言って立ち上がり、足早に人の声が届かない方へ向かう。
廊下を進み、チェ部長達の姿が見えなくなったのを確認してスマホを納めた。
そのまま「スタッフオンリー」と書かれたドアを開け中に入って行く。
しばらく進んだところで探していた人物の後ろ姿を見つけた。
素早く駆け寄り、後ろから抱きすくめる。
彼女の手からアイスピッチャーが転がり落ち、床に氷が散らばった。
息を飲みこむ彼女の身体を反転させ正面を向かせる。
きゃっ、と小さく叫びそうになっていた彼女の唇に自分の唇を押し当てながら、壁にそのほっそりとした身体を押し付けた。
一瞬何が起きたのか分からなかった。
唇に柔らかさを感じ、背中が壁にぶつかる衝撃が走った。
壁とテヨンに挟まれて身動きできない。
唇だけでなく吐息もすべて奪われている。それほどにテヨンの口づけは乱暴だった。
テヨンは彼女をその口づけから開放したが、彼の両腕は肘から指先に至るまで壁に押し付けられており、腕と腕の間には彼女の頭がある。
「どうして君がここに居るのか説明してくれないか?」
唇と唇が触れるか触れないかの至近距離でテヨンが低く囁いた。
「・・・ん・・・」
彼女は乱れる息を整え何か言おうとしていたが、また唇を塞がれた。
「どうして?・・・君はここで何をしてるの・・・『ヨン』家の『ハ』さん?」
テヨンはもう一度問いかけたが、直後にやはり口づけた。
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